摘要 | 第1-6页 |
要旨 | 第6-8页 |
目次 | 第8-10页 |
凡例 | 第10-11页 |
序論 | 第11-18页 |
一、村上龍、時代とともに生きる作家 | 第11-12页 |
二、村上龍研究概観 | 第12-15页 |
三、論題の選択をめぐって | 第15-18页 |
第一章 『限りなく透明に近いブルー』:村上龍文学の原風景 | 第18-31页 |
プロローグ 原風景への疑問 | 第18-19页 |
第一節 観念作としての処女作 | 第19-22页 |
第二節 基地の街という舞台 | 第22-24页 |
第三節 混血という運命 | 第24-27页 |
第四節 切ない回帰志向 | 第27-31页 |
第二章 村上龍原風景の変容を巡る一考察 | 第31-46页 |
第一節 基地原風景のずれ | 第31-35页 |
第二節 アメリカという参照系の変容 | 第35-39页 |
第三節 史実的記憶と想像的構築の間 | 第39-41页 |
第四節 村上龍原風景言説へのアプローチ | 第41-46页 |
第三章 反抗と渇望:『悲しき熱帯』における父権葛藤 | 第46-60页 |
第一節 福生に遠いようで近い熱帯 | 第46-48页 |
第二節 父性的権威、その根強さと重要さ | 第48-51页 |
第三節 基地の街と熱帯の島の父権葛藤 | 第51-53页 |
第四節 少年の成長とアメリカ像の薄らぎ | 第53-57页 |
インタールード まとめⅠ | 第57-60页 |
第四章 キクの宿命:歪んだ父権に導かれて破壊へ ――『コインロッカーベービーズ』の問題性 | 第60-76页 |
第一節 勝負作、冒険作、自信作、そして評判作 | 第60-63页 |
第二節 近代都市文明破壊寓話 | 第63-66页 |
第三節 父なき子の父性憧憬 | 第66-72页 |
第四節 歪んだ父権破壊の宿命 | 第72-76页 |
第五章 美少女もオタクも破壊へ向かう:普通の子の反抗――アネモネや『昭和歌謡大全集』が示す普遍性 | 第76-89页 |
第一節 価値観危機、豊かな貧乏 | 第76-79页 |
第二節 アネモネの反抗:破壊への共鳴 | 第79-83页 |
第三節 歌謡曲で歌われる寂しさ | 第83-89页 |
第六章 引きこもる少年:失われた時代の寂しさ ――『共生虫』にいたるまで | 第89-107页 |
第一節 少年非行の社会的根源詮索 | 第89-92页 |
第二節 村上龍の神戸事件言説 | 第92-96页 |
第三節 インターネットと引きこもり | 第96-99页 |
第四節 『共生虫』:引きこもる寂しさ | 第99-107页 |
第七章 普通の女の子の軌道逸脱――『トパーズ』系諸作における父娘関係 | 第107-131页 |
第一節 他者を探す女達 | 第107-111页 |
第二節 身体毀傷に見られる否定の哲学 | 第111-116页 |
第三節 痛み:存在感と勇気の確かめ | 第116-123页 |
第四節 大切だと感じたモノ | 第123-127页 |
インタールード まとめⅡ | 第127-131页 |
第八章 『KYOKO』:キューバに憑かれる妖精譚 | 第131-150页 |
第一節 KYOKO キョウコのバリアント | 第131-133页 |
第二節 基地の街からの出発 | 第133-138页 |
第三節 キョウコの意志 | 第138-142页 |
第四節 主体性:キューバが意味するもの | 第142-145页 |
第五節 希望と再生の妖精譚 | 第145-150页 |
第九章 『希望の国のエクソダス』:地上ユートピア創世記 | 第150-169页 |
第一節 『希望の国のエクソダス』の創作動因 | 第150-153页 |
第二節 何故、中学生なのか? | 第153-156页 |
第三節 少年たちは、希望の国へ | 第156-161页 |
第四節 ユートピアの受け止め方 | 第161-169页 |
第十章 『最後の家族』:軟着陸する人間劇 | 第169-185页 |
第一節 最小の共同体としての家族 | 第169-174页 |
第二節 引きこもりからのエクソダス | 第174-178页 |
第三節 家族の解体と個人の自立 | 第178-182页 |
エピローグ まとめⅢ | 第182-185页 |
終章(結論にかえて) | 第185-190页 |
一、本論のまとめ | 第185-188页 |
二、今後の課題の展望 | 第188-190页 |
参考文献 | 第190-199页 |
后记 | 第199-200页 |
在学期间公开发表论文及著作情况 | 第200页 |